第12講

0. [予習は?] 課題は新しい単語が多くてむずかしかったでしょうか? 接続詞らしい「nam」の前で一区切り、nam以降の文は動詞estが2回、vult、cogitatとあるし、ごちゃごちゃしているな、と気づけばよいです。それでも、この文が「これこれは、主からのものである(est a Domino)」とわかればO.K.

1. [例文は] では勉強。例文は次のもの。
Dominus cum unoquovis homine loquitur, nam quicquid est bonum et verum quod vult et cogitat homo, est a Domino:(AC904:1)

2. [単語と文法] 前置詞(接続詞でもある)「cum」:奪格支配、「と」「~とともに」「~で」「~をもって」の意味。英語の with に相当する。
  「unoquivis」このままでは辞書にない。unoが unus(一つの)の変化形(ここは奪格)と気づけば(←ある程度勉強していないとこうならない)、unusqui-を探してみる、するとunusquivis「それぞれ(別々)に」を探し当てる。これは「レキシコン」でのことであり、田中『羅和』にはない。しかし、この語はunus quivisと分けて綴ることもある。quivisなら『羅和』にあり「各々の、だれでも」とありunus quivisで「だれでも一人ひとりに」という意味になる。
 動詞「loquor」:意味は「話す」(注1;文法)。

3. [前半の訳] これで前半が訳せます。訳してください。

 「主は人間の(それぞれ)だれとも語られる」という意味ですね。(蛇足ながらここの「~られる」は尊敬語)

 主は特別な存在であって、特定の人にだけ語りかけるのではなく、人間の一人ひとりに語りかけられるのです。「あれ、それはどういう意味?」と疑問がわきますね。それに答えているのが、nam以下。

4. [後半の単語] では後半、まずは単語から。
 接続詞「nam」:「なぜなら」。スヴェーデンボリの著作は基本的に「論述文」なので、この語は非常によく出てくる。すぐ覚えてしまう。言うまでもないが「理由や説明」を導く。
 quicquod:載ってない。それでquis の変形だろうと見当をつけてquisqu-を探す。するとquisquisだとわかる。これは「レキシコン」に載っているのであって『羅和』ではわからない(注2)。意味は「だれでも、何でも」。
 名詞「bonum」と「verum」:意味は「善」と「真理」。一番よく出てくる単語かもしれない。
 動詞「volo」:「欲する、意志する」。いくつかある不規則動詞の代表格。他の不規則動詞は各自学んでください。
 動詞「cogito」:「考える」(注3)。
 vult と cogitat はそれぞれ bonum と verum に呼応します。すなわち bonum をvult、verum を cogitat。ここでは主語の homo が後ろに位置しています。
 あと一つ、前置詞「a」:これは母音またはhの前で ab となる( e, ex も同じ)。意味は「~から」、「~により」もある。

5. [後半の訳] これで後半が訳せます。滑らかな日本語にするのにちょっととまどうかもしれません。

 「なぜなら、人間が欲し(意志し)、また考える、〔その〕善と真理である〔ものは〕何でも、主からのものであるから」
 (どうもぎこちない、もう少しうまい訳があるかもしれない、でも、原意を忠実に反映させたい、となるとこんなものなのか?)

6. [人間は器] 先ほどの疑問が解消したでしょうか。人間の中には、もともと善や真理は何もない。あるのは遺伝悪だけ(「残りのもの」もあります)。←こうしたことはスヴェーデンボリ神学をある程度学ばないとわかりませんね。それで、もし自分が善業をなすなら、真理を語るなら、そうしたものは器である自分が主からいただいたもの。内なる心に主が「語り」かけ、それを受け止めた内心から、各個人の善や真理が出てくる。人間が善や真理を持っているように見えることが、即、主が語りかけられていることの証しとなっている。

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7. [課題] では課題。ヒントは「啓示がなかったら、人間はどうなってしまうか」です。

Homo absque revelatione ex Divino non scire aliquid potest de vita aeterna, ne quidem aliquid de Deo, et adhuc minus de amore et fide in Ipsum;(AC10,318)

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