第8講
0.[あきらめずに] ちょっとだけ長い文でしたね。「知らない単語がいっぱいあるからやめた」と放り出さずに、何とならないかとしがみつくのも何かの勉強になります。何も知らないところにポンと投げ出されても、何か手がかりとなるものはないかと探すうちに、いわゆる「勘」が養われます
(注1:雑談)。
1. [文の切れ目は] 文の区切りはコンマや接続詞が有力な手がかりとなります。
まずは接続詞「sed(しかし)」で切れますね。そこまでの文で、主語が「revelatio」動詞が「detur」とわかれば、予習としてはまあまあです。「sed」以後は長くなりますが、どこが頭でどこがしっぽか? やはり「revelatio」が主語らしい、そして動詞の「sunt」が二つあるな、とわかれば、これで予習は上出来、終了です。
長くなりそうなので短い前半だけにしましょう。
quod hodie detur revelatio solum per Verbum,
副詞「hodie」:日にちの今日(きょう)の意味もありますが、ほとんどの場合、現在の時を意味する今日(こんにち)。
動詞「do」:detur を引いても出てこない「-tur」は動詞の受動態の形だからと「de-」全部をみて眺めもそれらしい動詞が見つからない。不規則動詞とまでは言いきれない、こうした単語が初心者泣かせなんですね。仕方なしに項目「D」を全部あたる。確かに能率悪い。でも、しぶとく、ねばり強く、何度かこんなことをしたほうが効率よく勉強するよりもよいかもしれない。意味はいろいろあってここでは「与える」。
副詞「solum」:ただ、だけ(英語の solo はこの語と関連あり) 。
4.[訳す] これで「hodei ~ Verbum」が訳せます。訳してみてください。
「今日、啓示はただみことばによってだけ与えられる」ですね。
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5.[味わう] この言葉をすこし味わってみましょう。前講7と関連します。
「啓示」とは何でしょう。宗教は「啓示」を特徴とします。アメリカに行ったことのない人がアメリカをどう考えたらよいでしょうか。自分が知らないから、そんな国ないだろう、とは思いませんね。自分がアメリカに行くか、それができなければ、「行って、見てきた人」の話を聞くしかありません。
ここでアメリカを「霊界」に置き換えてください。霊界を見てきた人がスヴェーデンボリです。あとはその人を信用するかどうかです。
自分の頭で考えてどうなるものでもないもの、これは「啓示」によるしかありません。昔の預言者たちは啓示された。スヴェーデンボリは霊界を啓示された。そのことを信じるのが宗教です。
スヴェーデンボリ自身は、なぜ啓示を受けたのか。ここの文からは、彼自身が心を尽くして聖書を読んだことがその基盤となっているのがわかります。
では、だれでも、聖書(みことば)を読めば、何らかの啓示を受けるのか? となると、それに答えたものが後半部分になります。ほんとうの啓示 (genuina revelatio) はどういった人に与えられるか?
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6.[課題] では、後半 sed 以下の文を予習してください。
sed genuina revelatio apud illos qui in amore veri sunt propter verum, et non apud illos qui in amore veri sunt propter honores et lucra ut fines;
ヒントとしては名詞に限れば「愛 (amor) 」「真理 (verum) 」「名誉 (honor) 」「利得 (lucrum) 」「目的 (finis) 」といった言葉ですね。
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