第2講

0. [課題と答] 課題をやってみたでしょうか? できてもできなくても、他人の答を見る前に自分でやってみることが一番大事です。誤りに(明確に)気づくし、人との違いもわかります。必ずやりましょうね。

quod postquam Verbum datum est Dominus per id solum Se manifestet,
「みことばが与えられた後、主はそれ(= みことば)だけを通してご自分を現わされる」
 どうでしたか? 教え方がよかった(?)ので、みなさん、ほぼこのとおりだったでしょう。「現わされる」は「明らかにされる」と訳してもO.K. みことばの中に「主の臨在」を見る人にとっては「現われる」であり、みことばの真理によって人生観・世界観なりが明らかにされたと感じる人には「明かされる」ような気がするでしょう。

1. [文の構造] 続いて、後半を学びます。

nam Verbum, quod est Divinum Verbum, est Ipse Dominus in caelo et ecclesia;

 例文を眺めるとカンマで区切られて、A, B, C の構造をしています。動詞は2つあり、同じ est 「~である」です。何が頭で何がしっぽでしょうか? 別の言葉でいえば、主語と動詞は? すなわち、ここの est は「AはBである」、「A = B」の「=」の働きをしています。それで「A」と「B」は何ですか?

2. [単語の勉強] 知らない単語は caleo と ecclesia ですが、これは著作に非常によく出てくるのですぐ覚えてしまいます。caelum「天界」(しかしスヴェーデンボリ自身は coelum と綴っています)と ecclesia「教会」です。それと接続詞「et」と前置詞「in」。
 etは英語のandと同じ。「~と~」「~や~」と訳せばよい。私は「飲み」et「食う」のように動詞が並ぶ場合などよく「、」と訳します。このほうがすっきりするからです。すなわち「飲み、食う」。et はこれほど軽い存在と思ってください。(et が文と文をつなぐときは「また・そして」などの訳語で連結します)

3. [前置詞の格支配] 前置詞は接続詞と同じく変化しませんが、「格支配」というものがあります。
 この文では、実は簡単です。接続詞が postquam と namの二つ使われているので、接続詞の前でいったん文意が切れるとわかります。
  (1)対格につくもの、(2)奪格につくもの、(3)両方につくもの、の三種があります。
 inは両方支配の前置詞であって対格とともに用いる場合、話題が「空間」であるとき「~の中へ」と移動の方向を示し、奪格とともに用いる場合、「~の中で」と位置を示します。対格も奪格も知らない。わずらわしい! と最初はだれもが思うでしょう。そのうち、この使い分け、厳密さが、なんともいえず気持ちよくなります。
 英語の「in」と意味が同じですが、より厳密な使い分けがなされています。そのうち英語は「あいまいな言語だな」といった気がしてきたら、あなたにはラテン語の素質があり、ラテン語に向いています。「ラテン語好き」になるのはもうすぐそこです。

 では、ここはどっちの支配か? 文意からも見当がつきますが、正確には続くcaeloとecclesiaの格から判断します。どちらも奪格です(対格ならそれぞれ caelum, ecclesiamとなる)。

4. [文の構造] さて、文全体にもどれば、B は挿入句であって、直前のVerbumを補足説明しています。それで「なぜなら、みことばは“B(であって)”(Ipse以下)である」という構造の文です。これで二つの動詞estの関係がわかるでしょう。

5. [単語の勉強] 挿入句にあるDivinumは「神的なもの」、Verum「真理」と訳します。大文字なので特別な真理と思えばよいです。訳出する上でそのことを強調したい場合「神的な真理」のようにカギカッコでくくったりします。ここの訳文は「それは神的な真理である」となります。

6. [課題] 最後の部分、Ipse は単独なら(主を指して)「その方」でよいのですか Dominus「主」といっしょになっているので主を強調していると考えましょう。小文字で「ipse」は「そのもの・それ自体」といった意味です。ここでは「主ご自身」がいいですね。
 さて後半全体を訳せたでしょうか? 訳し、そして文全体の意味する内容を考察してください。この課題をこなしたら、あなたは立派なスヴェーデンボリ研究者!