自己紹介(鈴木泰之)

 1946年12月(今はやりの)「蛇使い座」生まれ。蛇使い座は私にぴったりの星座かもしれない。

 東京都に生まれたとはいえ、文化的には隣の埼玉県に近く、生まれも育ちも「田舎者」である(埼玉県民さん、失礼)。
 地元の小学校・中学校から都立立川高校へ(高校では水泳部に所属した。水泳は今も近所のスイミングスクールに通って続けている)。
 1965年(昭和40年)東京教育大学(現在の筑波大学)の数学科に入学。数学が最も純粋で深い学問だと思ったから。在学中は神の存在が“数学的に証明”できるのではないか、などと考えたこともあった。どういうわけか宗教学の評価はAだった。数学者としての能力に限界を感じて、教員になることにした。卒業以来、都立高校で数学を教えている。しかしこうした話しはわき道かもしれない。

スヴェーデンボリとの出会い
(1) 『聖書』を(集中して)読み始めたのが76年(29歳)。『聖書』を読んだこともなくて、いっぱしの知識人とはいえまい、というのがそのときのいやらしくかつ尊大な理由であり、動機であった。
(2) 「霊界」にも以前から興味を持っており、今村著『私は霊界を見てきた』や有名なレイモンド・ムーディの『かいまみた死後の世界』(81年34歳)から、スヴェーデンボリの名は知っていた。
(3) 83年9月、新宿・紀伊國屋で静思社の本を発見し、その場で『天界と地獄』,『神の摂理』を購入したのが始まり(36歳)。静思社の本はその後の半年あまりの間に書店に注文して全部購入した。

 翌年(37歳)2月から(本格的には9月から)『天界の秘義』を特別な事がないかぎり、毎朝、読み続け、翌年12月に読了(1年3か月かかったが、そのときには大いなる満足感を覚えた! なお同時にヘブル語の勉強も開始した)。その後、その他の「著作」も読み終え,再度,今度はヘブル語や,そのコンコーダンスを調べながら(自分で思うに)徹底的に『天界の秘義』を通読したのが88年8月(40歳)から翌年9月(1年8か月)。結局、丸3年かけて2回『アルカナ』(和訳)を読んだことになる。もっと突き詰めて勉強したかったので、この40歳のときに定時制に移った(現在は中野区・四谷商業高校の定時制に勤務している)。
 
◎独学によるスヴェーデンボリの勉強も一区切りつき,年号も「昭和」から「平成」に代わった89年正月草々、静思社に柳瀬さんを訪ねた。(独学はこの辺りが限度であった。他の人との交流も考えねばならない。そして、ここから次のステップへと急速に成長できたと思う)
 同年3月、柳瀬さんより受洗(42歳)。柳瀬さんが当時取り組んでいた『黙示録講解』の校正を手伝いながら、新教会の仲間(一々名前をあげないが、貴重な人々にめぐり合えている)やスヴェーデンボリの英訳書、『天界の秘義』原典などを知った。(訪問して、最初に借り受けた本が『夢日記』だった)

◎同年秋には「アルカナ出版」を訪問。11月からはマリタ・ロジャースさんの指導のもと(メンバー:Tさん・Mさん・Gさんなど)おもに『天界の秘義』の勉強会が始まった(月2回、非常に勉強になり、英語で行なわれたので英語力もついた)。翌90年4月(43歳)SFから出版されている『スヴェーデンボリ全集』を入手(これについては91〜97年の6年半で読了)。5月の集会にて静思社から去り(理由を簡単に言えば、柳瀬さんの人間性に失望)、この年に始まったジェネラルチャーチの礼拝グループ「ぶどうの木集会」と鳥田恵さんの「小平新教会」に参加することにした。

◎同90年11月の歴史的集会で、GCのキング司教(カトリックではないがこう呼ぶ習慣、これからは主教と呼びたい)より、夫婦共々、また三男も受洗。同会員となる(43歳)。(93年には長女も同師から幼児洗礼を授かる)家族については3男1女、次男はすでに結婚し、孫もいる(その孫はアクトン司教から幼児洗礼を受けた)。ここではっきり“「新教会」と結ばれた”と意識した。

◎翌年6月(91年)「ジェネラル・アセンブリー」に夫婦で参加。
同じく8月には「新教会読者の集い」に参加して仙台新教会の人々とも知り合いになれた。この年から「アルカナ通信」「クエリテ」に私の訳文が掲載され始めた。93年『天界の秘義』原典入手。

◎94年には沖縄を訪れ,そこのメンバーたちと交わることができた。この年からラテン語を勉強し始めた。
◎97年(50歳)1月、原典対訳を含むスヴェーデンボリ研究月刊誌『荒野』を発行(4年半続け、現在は廃刊)。