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5.余談:スヴェーデンボリお気に入り(?)の言い回し
「著作」によく出てくる表現(ことわざ?)を2つ取り上げてみます――
arbor enim jacet ubi cecidit. (『天界の秘義』7186番)(=for the tree lies where it has fallen. )
○arbor, oris,f. 樹木 ○enim なぜなら(頻出!)
○jaceo 横たわる ○ubi, adv., conj.〜の場所に
○cado, ere, cecidi, casum 落ちる,倒れるれる
訳は【練習問題】とします(解答なしで大丈夫でしょう).
ちょっと違った形で同じく『天界の秘義』8991番には――
arbor quo cadit, ibi jacet. (英訳は“as the tree falls so it lies. ”でした)
ペンドルトン著『著作からの話題』(この著作はいずれ、Web出版『新しいエルサレム』に掲載したいと思っています)には「この元となった言葉は「伝道者の書」11:3である.『神の摂理』277
にも登場する.この意味は『霊界体験記(小)』4645, 4646 に(他のどこよりも)詳しく説明されている」とありました.
もうひとつ,次は非常に有名なものです――
mens sana in corpore sano.(=a sound mind in a sound body.)
これは『天界の秘義』3951, 4459, 6936, 8378 番に次の形で出てきます.
ut mens sana sit in corpore sano.
○mens 精神,知性 ○sanus, a, um, adj. 健康な,健全な
○corpus, poris, n. からだ(第3変化→「文法表」12)
中学生の時だったか「保健」の時間にこの言葉を聞いた.そうした読者も多いのではないかと思います.その時間では,この言葉は「健康なからだに“こそ”健全な心が“宿る”」と言う意味なのか,「健康なからだに健全な心が“望ましい・似合う・宿ってほしい”」という願望なのかはわからないが……,と紹介された.
直訳すれば,「健康なからだの中に健全な精神が」であって,“動詞”がないので,あいまいな要素が残っており,今でも私にはわかりません.
スヴェーデンボリは「食物」に関連させて語っており,食物は健全なからだを作り,そうして健全な心を持つためのものである,としています.快楽だけにいる外的な人間は,「美味」しか考えず,そうしてからだを弱め,精神を弱めてしまいます.内的な人間にとっては役立つ食物(cibus utilis)がおいしい,としています(8378).
病気など,また体調を崩すと,普段と食べ物の好みが変わってしまうのはよくあることです(例:妊娠すると酸っぱいものが欲しくなる).普段はおいしいと感じた物が少しもおいしくありません.これはからだが健康を取り戻すために必要なものを求めているのだと思います.
スヴェーデンボリは「からだが健康でないと,精神の健全さは失われる」といった意味でこの言葉をとらえていたようです(4459).
自然的な食物は(からだの健康を通して)健全な精神のためのものですが,霊的な食物は何であり,また何のためのものでしょうか?
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