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0.「真理」とは?
といっても,「真理」と訳されている原語(ラテン語)の問題.ラテン語講座「ラテン語を学ぼう:第3課」で「単語」をあつかっているうち、「真理」と訳されるもとの語が次の2つあることに気づいたから――
[1] veritas, atis, f. [verus] 1 真理(以下省略)
これは veritas が verus (形容詞=真実の,実際の,正しい)に由来する(語源)することを意味し,
[2] verum, i,n. [verus] 1 真実(以下省略)
これもやはり verus に由来する,というよりも,名詞化したものです.
このように同一語源の語であり,両者とも英語で同一に truth と訳されていますが,スヴェーデンボリは使い分けているのではないだろうか?
との疑問がわいてきました.実際ポッツの『コンコーダンス』では veritas を Truth のように大文字を使って,verum の truth と区別していmasu!(よくこのような厳密な仕事をするなあ,と感心してしまう)
1.まずは「観察」から
比較のため,veritas と verum(verus)が一緒に登場する箇所を適当に取り出してみます.veritas を真理(太字)で表わし,区別しておきます.
『天界の秘義』より
963 (懲罰の)ヴェールは,真理を見るけれども,それを認めようとしない者たちのためにある.
1321 自己の崇拝が主の崇拝の場所に押し入るとき,その時すべての真理はゆがめられるだけでなく,捨てられ,ついには真理の代わりに虚偽(falsum)が,善の代わりに悪が承認される.なぜなら,すべての真理の光は主からのものであり…….
1469(主が)つけ加えて学ばれた知識と思考(scientifica et cognitiones)は真理または真理(vera seu veritas)ではなく,単に受容する器である.
1728 神の真理はこの方の全王国の秩序そのものであり,その(王国の)すべての規則(leges)は真理または永遠の真理である.……なぜなら真理がひとりひとりを地獄へと断罪するからである.
1813 自分から(ex se)悪魔に対して戦うと見なす者は,大いに誤っている.……なぜなら,信仰の真理は,これである,主が戦われることが真理そのもの〔この部分だけ直訳〕.
『信仰について』(4教義集)より
6 信仰と真理は一つである.……ヘブル語では真理と信仰は一つの言語(vox)である.
『神の愛と知恵』より
428 この者たちは信仰とは何か知らない.もし信仰が述べられるなら真理と理解し,……彼らは彼らの天界の光の中で真理を見ているので,「だれが真理を信じないのか?」と言う.
429 この者たちは仁愛とは何か,あるいは信仰が真理であるとは知らないから…….……真理を受け入れるにしたがって天使たちにより教えられ…….
『神の摂理』より
318:8 「真理とは何か? 存在するのか? 私が真理とするものは真理ではないのか?」……真理を真理であると認め,そしてこれを絶え間なく知覚する真理によって強める者でなくては知性があるとはいえない.
『真のキリスト教』より
343 (標題,それ以下の番号でも)主に近づいて,みことばから真理を学び,それにしたがって生活することによって,人は信仰を受け入れること.
(346 で目の視力と比較したときの真理は真理(verus)が使われている)
2.verum(verus) と veritas の違い(使い分け)を発見か!?
次のことがわかりました(浮かび上がってきました)
○ verum(verus) は一般的な事実としての「真実」「ほんとうのこと」,こうした意味の「真理」である.
(「真」の訳語の方がふさわしい)
○『ほんとうの(純粋な)真理」(真理にホントウもウソもないが)という意味で
使い分けたいときに veritas を使っている.
○ほんとうのこと・単なる真実は信仰でない.信仰に結び付くときその真理を veritas としている.
ほんとうの信仰と veritas は同一視される.
○『真のキリスト教』346 虚偽と混ぜ合わされ,誤謬とされることもあるのが verum .
3.考察(私見)・感想
○スヴェーデンボリは veritas を使用するとき,単なる「真理」以上の「主からのほんとうの真理」(ヨハネ14:6のみことば)を意識しているようである.
○このような考察・研究は,verum(verus)と veritas がともに「真理」と訳してある日本語からではとうていできないだろう.ラテン語を学び,原典にさかのぼればこそ,と思う.
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