15-2

「主の祈り」 (7)
NE INDUCAS NOS IN TENTATIONEM, SED LIBERA NOS A MALO.
ネー・インデューカース・ノース・イン・テンターティオーネム・セド・りベラー・ノース・アー・マロー

2.スヴェーデンボリによれば→その内意

 「文字に従った意味では,主は試練に導かれるが,内意では主はだれも試練に導かれない」(秘義 3425:5,霊界体験記3502参照).
 『秘義』1875には“文字上の意味が全く消滅する”例としてこの祈りが上げられています(3605も).
 『霊界体験記』1878(悪からの解放について)には「主は決して悪の原因ではあられない……」
 『霊界体験記』2759(私たちを試練に導かないでください)には「内意では,これは主が私たちから離れないように,すなわちその神的な力をゆるめないように,ということを意味している.なぜなら,そのとき試練に陥り……」.(他の参考箇所:秘義 245)

参考までに、『天界の秘義』の前に執筆していた『聖言の講解』(7320)には次のようにある.

『聖言講解』7320番
 ……イスラエルの子らは試練から休息を得たかったのであるが,しかし,水不足によるこの試練は,試練が続いて止まないときの霊的な試練を意味し,荒野におけるメシア〔主〕のもとにあったような,……この世におられたときのメシア自身の試練のようなものであった.これはメシアの祈り,すなわち「父よ,私たちを試練に導かないでください」の中に認められる.それというのも,これは,常にまた残酷に試みられていたときの荒野でのメシアご自身の祈りであったからである.それゆえ,メシアはこの祈りを弟子たちに教えられた.そしてそれゆえ,この祈りは他の祈り以上にメシアを感動させている.