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0.“Αγιασθητω το ονομα σου”
これがギリシャ語原文ですがアクセント記号は省略してあります.「ハギアスてートー・ト・オノマ・スー」と読みます.簡単に直訳すれば「聖なるものとされるように・ト(冠詞)・名前・あなたの」です.
やや長くなりますが「単語・文法」を「ついでに」勉強してみます――
○“スー”(gen.sing. συ)=「あなた」の単数・属格.
○“オノマ”=「名前」
○“ト”=「オノマ(名前)」が中性名詞なので,中性・単数・主格の定冠詞が付く.(§52, 61, 68)
○“ハギアスてートー”これが(文法的にも)いちばん大変.
まずムールトンの“ANALYTICAL GREEK LEXICON”という特殊な辞書を引いてみます.この辞書には新約聖書に登場する単語が変化形のまま載っており,その原形と文法事項が説明してあります.(前述の「gen.sing. συ」も同書の記載事項であり,“σου”の原形が“συ”,その属格(gen.)単数(sing.)とわかる)
こういった「便利なもの」(便利すぎて文法や変化形の学習がおろそかになる)が存在するので,(私にとって)ギリシャ語は難しいものでも何でもありません.さてその『アナリティカル・レキシコン』には――
○αγιασθητω,3 pers. sing. aor.1, imper. act. αγιαζω とあります.
乗り掛かけた船はナントカと言いますが,ここの文法事項を全部説明してしまいましょう.さらにギリシャ語を勉強してみたい人には初歩の易しい(けれど基本的なことは全部説明してある)本として,いのちのことば社『聖書ギリシャ語入門』(野口著)がよいようです(同書に解説してある部分を“§”とした.また本書には参考書も紹介してある).
さて,記述全体からこれが「動詞」とわかります.この主語である「あなたの名前」は「3人称(3 pers.) ・単数(sing.) 」です.
次の,第一不定過去(aor.1)・命令法(imper.=imperative mood)・能動態(act.=active voice) が問題です.
他言語を学ぶとき,いちばん大変なのが(私の経験からも)“動詞”でしょう.日本語の「動詞体系」が(ヨーッロッパ)言語と異なるからです(しかし,ヘブル語はこれまた別の体系であり,これに私は少なからずショックを受けた.いずれ語るときがあるかもしれない).
たとえば「食べる」と言えば,“人称や数”がはっきりしています(英語は相当くずれている)が,日本語では「だれが食べるか」わかりません.そして,日本語は「時制」がはっきりしません,というよりこだわっていません.その代わり,動詞は「未然・連用・終止・連体・仮定・命令」などと「活用」します.品詞の分類も異なるし,冠詞などありません.動詞で足りない部分を助動詞が補っている.等々.
すなわち言語の成り立ちそのものが根本から違っています,このことを理解させるところに外国語教育の大きな意義があると思います(なんとついでに教育論にまで“脱線”した).
さてアオリスト(aorist, 不定過去)はギリシャ語で使われる文法用語ですが,すこしも難しいものではありません,「単にあることが行われた・起こった」ことを述べています.また「第一」「第二」とは「形」の違いによる分類です(§137,
141)
次にアスペクト(aspect)という概念を紹介しておきます.これは「ある見地からみた“様相”」のことであり,動詞に言及すれば,その動作が「点」(単発事件)で表わされるか,「直線」(連続または繰り返し)として表現されるものかを問題とします.これと「時」を組み合わせれば,“時制”なるものが生じるのです(現在の「文法」はこのようなアプローチをする).
たとえば,@「過去」に「点」で表わされる事件は“アオリスト”です(§137)
A「直線」で表わせる「過去」が“未完了過去”です(§121)
B過去にある事柄が起こり(点)その結果が現在にまで及んでいる(直線)のが“(現在)完了”です(§147)
C「現在」の事柄は「直線」(継続・反復)とみなせ,現在形を使います.etc.
これらのことは『野口』の§156 にまとめて論じてあります.
次に「法(mood)」とは「その動作・状態に対する話者の心的態度を示す動詞の語形」です.「直接法・仮定法・命令法」(まれに希求法)があります.「命令法」には元来“現在”しかありえないと思えますが,「不定過去」の「命令」とは何でしょうか? 『野口』の§271 にその説明があり,そこには「不定過去命令は,過去の意味はなくて,瞬間的動作の命令に用いられる」とあります.(いったん「聖なるもの」とされれば…,とか,祈るたびごと,「聖なるもの」になればよいわけだ)
延々と「文法」を述べましたが「単語の意味」にもどります.
○αγιαζω=「聖なるものとする」「聖別する」の意(この名詞は“ハギオス”).
このヘブル語は「カドーシュ」であり「分離する」の意味を持っています.神のものは神のものとして“分離”されることが願われています.この部分は,永井訳では「御名(みな)の聖められ給(たま)わんことを」です.「御名があがめられますように」(新改訳)は,間違いではありませんが,この雰囲気が失われます.
なお「イザヤ書」6:3 は(ヘブル語)で――
「カドーシュ・カドーシュ・カドーシュ・イェホヴァー・ゼバーオート」
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