INTRODUCTION

 

序 論

 

 子供のとき,私たちは,基本的に両親のもとで,しゃべることを習い始めます.その後,その同じ言語の別形である読み書きを習います,これは聴覚よりも視覚によるものです.さらにその後,その言語の規則を学んだことでしょう,他の言語とその規則も学んだかもしれません.

 

 しかし,私たちは,学んだことはいったい何だったのか,と考え直してみることをほとんどしません.どうやって,記号の羅列や一連の音声が意味を伝えるのでしょうか?

 

 理解できない言語を聞くとき,私たちは個々の単語に識別できないことに気づきます.そこに小休止や何らかの仕組みによって聞き分けられるような区切りがあるとは思えません.息継ぎ以外に,音は連続して流れているようです.それでも,いったんその言語を理解すれば,それは単語の組み合わせからでき上がっているように聞こえます.

 

 これらの“単語”は,区別された一組の音であり,どんな言語にも単語を組み立てるために使用する基本的で限定された量の音があります.ところで実際には,“bet”の“e”と“betide”の“e”は同じ発音ではありません.それぞれの音は周囲の音からもろに影響を受けるので,連続した音の流れの中では,それぞれの“音”は実際には音の範囲です.会話の中の音だけを,その意味をまったく離れて,単に音として研究するとき,これは音声学(phonetics)と呼ばれます.

 

 音の違いが意味の違いを示すとは限りません.中西部の人と南部の人では,“Harvard”の名前を異なって発音しますが,おそらく同一の大学に言及しています.話し言葉の研究には,単語を互いに区別するために音の違いを用いることが含まれます.この特殊な学問は音韻学(phonemics, 音素論)として知られています.

 

 次の段階では,意味が割り当てられたものとしての音の集団を扱います――これは大雑把に言えば,単語です.こうした構成単位の意味の範囲を研究することは辞書学(lexicography)と呼ばれます.

 

 さて,単語そのものが違った形で見いだされるかもしれません.音が前か後ろに付け加えられたり,真ん中あたりが変化したりするかもしれません,これは意味がいろいろと変化している合図です.

例えば,discover, discovered, discovering, discovery, discoveries といった語の群れがあり,それらは cover, uncover, recover  といった群れに含まれる同族です.こうした群れに含まれるパターンの研究は形態論(morphology,語形論)と呼ばれます.

 

 次の段階では,様式(pattern,型) を扱います.単語は実際に伝達されるとき様式で結び付いています.どんな言語にも,伝達を行なうためにその言語独自の特有な方法,限られた量の独自の工夫と様式があります.これらの研究分野は統語論(syntax, 構文論) として知られています.

 

 最後に,最も広くて,最も微妙な特徴である,作文法と文体に関連する事柄があります.言語の研究では,このことについては,しばしば,通りいっぺんの注意が与えられるだけですが本書も例外ではないとわかるでしょう★1),それはおそらく,これが捕らえ所のない題材を含み,また教えるのも難しいからでしょう.しかし,このことは言語による伝達過程で重要な部分をなしています.

 

 これに関連して,様式化された作文法による文章は,実際の会話での音を正確に表わしていないことに注意すべきです.辞書で示される発音は標準的な綴りよりも正確であり,注意深く考案された音声上のアルファベット〔発音記号〕はさらにそうです.しかし,その表記法の異常で複雑なシステムは完全な正確さを獲得するために必要とされたのかもしれません.なぜなら,方言のもつアクセント,個人の特殊性,ペースや音調,音量による表現上の変化,ピッチ(声の高さ・調子)を反映させなくてはならないからであり,それらは意味を伝える上で大きな側面となっているからです.

 

 もはや話されていない言語を扱うとき,綴りから発音の再構築を試みなければならないかもしれません.これは,生きた言語からは示されそうもない綴りと発音の間の首尾一貫した関係を生み出します.スヴェーデンボリがラテン語をどのように発音したか見いだすことによって少しばかりの収穫があるかもしれません,しかし通常,書き方から区別される要素を会話の中での区別に一定のシステムで適応させれば,それで十分です.

 

注 意

 

 ある新しい言語に近づくとき,しばしば2つの誤った概念を抱くことがあります――第1は,言語は基本的に多くの新しい単語である,第は,それらの単語は直接に“現実のもの”を示している,というものです.

 

 第1のものについては,ある言語の特徴としてちょうど語彙が違うように,そのシンタックス(syntax, 統語論) が違う,と理解することが肝要です.ラテン語の単語を英語〔日本語〕の単語に訳さなくてはなりませんが,ちょうどそのように,ラテン語の構造も英語〔日本語〕の構造に訳さなくてはなりません.逐語的に扱うことはわずらわしいだけであり,またしばしば破滅を招きます.

 

 第2のものについては,大多数の単語は物事(thing) よりも,カテゴリー(category, 範疇)に関係しており,カテゴリーは精神的な構成物であるということです.例えば★2,私の猫について述べれば,猫は,動物・哺乳類・ペット・やっかいもの・被造物・輸入品・俗物(気取り屋)・悩みの種(問題児)・足温器・ぶらつき人・美食家です.私の猫はある意味で,これら全部のカテゴリーに属するともいえます,それでもこれらのどの二つのカテゴリーも同じではありません.異なるカテゴリー名が付けられたからといって,その猫の性質は変わりませんが,どの場合も異なる集団を連想します.

 

 言語が異なれば,そのカテゴリー(範疇)も異なります★3.ヘブル語の「ダーバール」が“言葉”と“物”のどちらも意味する★4,と発見したとき当惑したかもしれません.しかし,これは最もありふれた現象のほんの一例です.それで,語彙を学習するとき,訳語を学ぶことと“その単語の意味するもの”を学ぶことを区別しなければなりません.これは,中心的な概念と,その中心的な概念を多かれ少なかれ広い範囲に適応させた概念の両方を含むことを意味します.良い辞書は,実際の用例を挙げています.それで,学習者に助言しますが,本書に掲載された語彙の簡略な定義を,実際の意味への単なる手がかりとしてだけ使用してください.さらに,語彙を学習する上では,強引に二つの言葉を同一視して記憶することなどしないで,単語の意味する範囲を追及(第20章参照)することが,大いに有益です.

 

 英語は,歴史的な理由からありふれた具体的な物事にはアングロサクソン語を使い,抽象的観念にはロマンス語やラテン語に由来する言葉を使う傾向があります5.ラテン語にこれと同等なものはありません.私たちは,揺れる建物を“支える(prop up) ”と言い,不確かな約束を“確認する(confirm) ”と言います――ラテン語では両方に同一の言葉を用いるでしょう★6.このことは,スヴェーデンボリが選択しなかっただけでなく,事実上選択できなかった抽象的な言葉と具体的な言葉のどちらかを,しばしば翻訳者が選択しなくてはならないことを意味します.語源とする言葉――ラテン語に由来する言葉――を選択するとき,それは通常,抽象的な言葉を選択することです.

 

1 このように(著者は謙遜して)述べていますが,

本書はスヴェーデンボリの文体の特徴に焦点を当てたものなので,この文を額面通りに受け取らないでください.

2 「Aと掛けてBと解く,その心は……」という“謎掛け”は,

まったく異質と思えるA,B二つの者の間に,共通の  カテゴリー(その心)を見つけ出す言葉遊びです.

(これはカテゴリーを説明する好例でしょう)

3 “木”と“tree”で補足説明してみます.

日本語では「この机は木でできている」と言いますが,英語では「“tree”でできている」とは言いません.

その場合はwood(木材)を使います.すなわち,“木”の範疇には材木としての木も含まれますが,

treeには「立ち木」の意味しかないので“木”と“tree”は同一の概念を意味しません.

このことから(続いて述べられています)「用例」が重要である,とわかるでしょう.

4 『天界の秘義』9987番参照.ギリシャ語で“ロゴス”と訳されます.

  「初めにことばがあった」(ヨハネ1:1 )「ことばは肉となった」(同1:14)から,

ここの“ことば”は単なる普通の意味の「言葉」ではない,とわかります.

なお日本語でも,「言」(ことば) と「事」(ものごと)は,“こと”を同源としています.

(古代の言語へブル語と古代日本語に似たところがあった!)

5 日本語にも日本古来の“和語”と外来語である“漢語”の違いがあり,これを思い浮かべるとよいでしょう.

あるいは,同一の漢字を「訓読み」と「音読み」する違いを考えてもよいでしょう.

(こうして,英語も日本語も“表現豊かな言語”といえるでしょう)

6 confirmo(“confirm ”の語源)